2012年12月29日土曜日

ケモ二回目とおへその話

昨日はケモ二回目でした。

一回目と同じ程度の副作用なかんじです。いまのところ。
後3クールですが、血液検査の結果で出来たりできなかったりなんだけど、無事に全部がクリアできますように。と、いってもまぁ補助療法だから無理はしないで。

ケモよりも実は放射線の副作用にビビってます。
それは、下痢。

なる人ならない人がいるようなんですけど、人によっては激しすぎて一旦退院して通院してもそのために緊急入院することもあるとか。

こえぇぇぇぇぇぇぇ。

てか、ケモの上から、放射線のしたからとかどんな拷問…。

こないだっから看護師さんにも「そろそろお腹がゆるくなるかもだからマグミット(手術後便秘になることが多いので柔らかくする薬を飲んでます)を止めたり調節して下さいね」って言われてるし。やっぱくるんやー。みたいな。
10回目くらいからくるそうなんだけど、そのあと20回もありますぜ、、、、。耐えられんのか?!!!!!!

おしっこお漏らしはせずにすんでるけど、こっちのお漏らしは流石にきびしいよなー。

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そして、おへそ。
何でへその話をするかっていうと、色んな闘病ブログを読んでるとおへその横を迂回して切ってる人ばっかりだったんですね。

それが、私の場合へそ横断してるんですよ!

もともとおへそがとっても平べったくてへそのゴマ掃除したことない!っていうレベルだったんです。旅行なんかで一緒に大浴場のお風呂に入ったりした人に変わったおへそやなーっていわれるくらい。

それが、なんと、今回の手術で縫い縮められてて人並みのへそになってました!びっくり!これも整形?(違

で、今日生まれて初めて風呂上りに、いや、シャワーだけど、へそのゴマ掃除をすることができました!ちょっと!テンション上がるわ!

いやー、ぺろっと取れるゴマ。
病みつきになりそうー。まじで。




2012年12月27日木曜日

入院中にお見舞いにほしいもの。

12/28の化学療法の点滴はスキップって聞いてテンション上がってたのに、今朝主治医が「点滴してから帰りましょか♪」なんて言ってきて一気にテンションだだ下がりの今日この頃ー。

正月の美味しいお料理は無事食べられることができるのかっ!
お刺身無理なんがかなりショックー。

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赤星さんだったかなー、だれだったかなー、入院中にお見舞いでほしいものっていうのを書いてる人がいて、その中にお見舞の手紙ってのがあったんだよねー。最初は手紙なぁって思ったんだけど、今になったらわかる。手紙マジ嬉しい。

今やったらメールとかTwitterで様子伺いしてくれることかな。
次男の高校のPTAの人たちが普通の会話のメールをくれる。
複数宛なんで読んでるだけでもおっけー。

調子がよければ返事するし、あかんかったら読んでるだけでもクスクス笑えてしんどい中でも元気でたりする。

私はこういう気遣い、今までできてなかったなぁー。
それやのにそういう気遣いしてもらえる友人に出会えてとてもラッキーやったとおもう。
これからは私もみんなに対してキチンとしていかないとね。

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そしておとといあたりからいろんなことが絶不調で、このままテンションだだ下がりで免疫力もだだ下がりで治らんかったりしてねー。なんてことを思っちゃうくらいひどかったんやけど、今日久しぶりに相方が帰国して顔見たらいっぺんに元気になった!

ただのホームシックだったのかも。
あと、いまは全面的に甘やかしてくれてるから、頑張りすぎてて気を抜きたかったのかも。
今は十分自分を甘やかして治ることだけかんがえてないとだめなんやなーとおもったのでした。

2012年12月24日月曜日

クリスマスの病棟

クリスマス前の連休だからか退院して行く人も多いし、外泊の人もたくさん。
だからお見舞の人も少なくて病棟はとても静かです。

私はといえば、化学療法の薬がちょっと抜けてきて夕方からは病院食も食べられるかな?って感じです。お腹は空くんですけど、病院食の献立を見ただけでおえっぷってなっちゃうので、飽きただけなのか、つわりみたいに食べたいものしか受け付けないのか。

2012年12月22日土曜日

ケモラジ開始

昨日からケモラジ(ケモセラピー=化学療法+ラジエーション=放射線)始まりました。
今日はちょっと体がだるくて病院食が食べられません。
と、言っても他のものは食べられたりするので、食べられるものを食べようと思います。
3階から7階のコンビニまで階段でいける元気はあります。ブログもかけるし、動画見て笑ったりもok。
もう、しばらく病院食欠食だそうかなー。

吐き気とかは特になし。

脱毛もまだないです。脱毛は2週間後くらいから出てくるらしいです。

先日外出許可もらって出かけてきましたが、自宅の有様を見てこれはここにいると動いてしまうと思ったのでさっさと帰ってきてしまいました。

今は自分の体大事に。ごめんよ息子たち。

年内退院は無理かもっていったら21にもなった長男の目が子犬になった。
次男は聞かないふりしてた。

頑張ってお正月帰れるようにするからね。


排尿訓練の方は、調子良く言ってたはずがケモの点滴中調子悪くて凹み。

終わったら持ち直した。薬自体は量少ないんだけど流すための生食だけでも2Lは入れてるので、ためすぎると良くないのかも。飲む方も一杯飲めって言われるし。もっとこまめにトイレ行って見ることにします。

通いになったらこれ、大変かなぁ。

凹んですごくがっかりしてるのを看護師さんが優しく大丈夫って言ってくれるの、すごく心強い。娘くらいの人もいると思うんだけど、ほんと、ありがとう。おかげでまた頑張れる。

ただ、ずっと残尿100ml切ってるので導尿なしで超音波での測定になりました。
尿道が傷ついておしっこ濁ってて、気になってたのでホッとした。

だんだんと残尿50mlに近くなってきてるので、このまま順調に減ってくれますように。

2012年12月19日水曜日

放射線科受診と化学療法

今日は放射線科の受診日でした。
主治医の先生からは年明けからかな〜って言われてたのでそのつもりで行ったら、
すぐ始めましょう!みたいな話で、明後日からはじまることになりました。

排尿訓練だけで入院してるのもーと思っていたので、こちらとしては願ったりなんですけどね。
やらなきゃならないんなら、早い方がいいですもんね。

放射線科の先生は「医療ヲタク」みたいな感じで、嫌いじゃないです、むしろ好きかも。
なんか質問したら、延々としゃべってそうな感じ。

放射線科のインターンの男の子が可愛くて萌えた。
息子くらいな感じだけどね…。

そしていきなり位置決めのためのCT撮ったり。
CTの技師さんの男の子もメガネ男子で可愛くて萌えた。

今日はこれだけじゃなくて、お昼すぎにお財布盗難にあった件で刑事さんがきて、そのあとすぐに次男の学校の先生と次男が三者面談のためにきてくれたりして、めっちゃ忙しく一日が終わりました。

バタバタしすぎて、本来飲まないといけないはずの量の水が飲めず、排尿訓練どんなもんじゃろなかんじだったんだけど、順調に残尿が減ってるので、自己導尿避けられそう。明日も頑張れる!

明日急遽銀行に行く用事で外出許可が出て、てか、先生に言って見たら簡単にオッケーでちゃってもっと早くに聞けば良かったっておもったり。

なので明日は家に一回帰って必要書類を持って銀行に行き、もう一回家に帰って猫をもふりまくって、息子たちと美味しいお昼を食べてリフレッシュしてきます!

明日が楽しみー。

2012年12月17日月曜日

排尿訓練ー入院七日目から

昼間尿管が抜けて排尿訓練の開始です。

この病院は他と違って時間決めてとかじゃなくて、行きたい時に行って見る形式です。
そして訓練は昼間だけで夜は尿管つけてゆっくり休みます。
最初は行きたいなんて全然思わないので3時間おきくらいにとりあえずトイレに行って見るところから始めました。
事前に予習していたおかげで最初からわずかに自尿がでました。
が、膀胱の中にはたんまりと残尿が。


それも日に日に自尿が多くなり訓練5日目位からだんだんと尿意が戻り、自尿が大幅にでるようになりました。


自尿を出すコツは、最初は出にくいのでトイレの中で骨盤底筋体操をして見ました。
そうすると尿道が開くのかちょろろっとでるようになり、出てきたらそっと膀胱あたりを押しながら、骨盤底のほうに優しくいきみます。

尿意が戻ってきてからは座れば出るようになりました。その時はいきまずむしろ息をフーッと吐く方が勢い良く出るような気がします。
が、全部はで切らないので、癌癌いこうぜ!のひみ子さんのこつを参考にして出し切る努力をしています。

今のところ残尿がかなり減ってきているのでこの調子で焦らず、一歩ずつ訓練を続けようと思います。

入院五日目

日曜日だったので、長男の車の運転練習がてら相方と長男がお見舞いに。

この日は朝から便もでて前日とは打って変わって元気になって自分一人で起き上がってスタスタ歩けるようになりました。

腸って大事なんですねー。

しかし、この病院ってちょっとスパルタなのかも?
他の方の闘病記読んでても常食になるのは術後数日経ってからって感じだったんだけど。

そんな感じでこの日を境にメキメキ元気に。
義姉や義母がお見舞いにきてくれましたが、前日までの様子との違いっぷりに驚かれました。
一番驚いたのはわたしかもだけど。

この日は硬膜外麻酔も切れて、激痛覚悟したけど思ったほどでなく。
朝と寝る前にロキソニン一錠で快適でした。

2012年12月15日土曜日

入院四日目

この日が一番厳しかったかも。

食事がすべて常食になって、食べると胃や腸が痛くて悶絶。
ガスも腸を移動するのでさらに悶絶。

歩いてみようと思っても痛すぎてベッドから起き上がって数歩歩くのがやっと。
歩いてる姿はさながら貞子…。


その後めでたくガスが出て、腹痛解消。
ご飯も少しずつ食べられるようになりました。

まだまだ自由に動き回ることはできないので相方が朝から晩までついててくれました。
感謝。

2012年12月12日水曜日

入院三日目

長い長い夜が明けました。
待ちに待った朝です。

足についていた血栓防止の器具が外され、ちょっとスッキリ。
でも寝返りもほとんど打てない状況だったので、腰が痛くて早くベッドを起こしたくてジリジリしてました。

でも、頭はまだぼんやり。
そうしてるところになぜか院長が
「院長ですよー。」ってやってきた。
何かちょっと笑った。

そして、やっとやっと病室に帰る時間がきた。
ベッドごと移動して病室に帰り、帰った途端に頭あげてみます?って言われて一も二もなく「上げます!」


お水を飲む許可が出てしばらくして相方がやってきたのでお水買ってきてもらって飲みました。めちゃくちゃ美味しかった。

お昼から流動食、そして歩行!
歩きましたとも!

夕ご飯は5分がゆですでにおかずは普通のおかず。

食べると腸が動きのたうちまわることに。

その夜はベッドの頭をあげて寝ることができたので快適でした。
フラットにするとどうしても腰が痛くて。

入院二日目-手術の日

朝から落ち着かない。
手術は朝一番って決まってたので、相方が8時に到着。義姉も来てくれる。
義母も遅れてくるとのことだったけど、長丁場になるのでできればスポーツクラブにいってゆっくりしてからならいいのに、と思う。

義母は78、長い時間何もせず待ってるのはしんどいよ。

家族の気持ちがめちゃくちゃ嬉しい。
がんばるわー、って、頑張るのは先生だけど。私は寝てるだけだから。


そして手術室の看護師さんに迎えられていざ、出陣!
噂通り歩いて行きました。

と、いうか、手術必要な患者さんはほぼ手術室のある階に入院みたいなことを入院時に迎えにきてくれた看護師さんにいわれました。手術室ほぼ目の前。

相方と義姉が見送ってくれて、義姉が拳振り上げてがんばれ!って。

パワーもらっていってくるよっ!

メガネなくてまわりはほとんど見れず、でも、予想とは全然違った。
なんかありの巣みたいにあっちこっちに部屋があって、ドラマとは大違いな感じ。

手術台は噂通り狭い!
一番ビビってた硬膜外麻酔は3度さし直しでマジ泣きしました。

何とか入って、仰向けになったら体がだるーくなってきて次に気がついた時には周りの人から名前をよばれてた。

でも、全然目があかなくて、左手に何か持たされてるんだけどにぎれなくて、なんやろ?と思ったらどうやらナースコール見たいだった。

何度名前を呼ばれても眠くて眠くてしょうがないので返事の代わりに「眠い」を連発しておいた。

そして次に気がついた時には相方やら義母が横に立っていた。ただひたすらありがとうやった。
長男も来てくれてて、その時私がかけた言葉はなぜか「ミククジどうやった?」でした。
この後に及んでミククジかよ!とぼんやりした頭で自分に突っ込んでおいた。

その時、相方が「一部大動脈への癒着がすごくて大出血の可能性があって取りきれてない」
って言った。
私はなんだぁー、とおもって相変わらずぼんやりしてたけど、長男が「でも、抗がん剤や放射線でなんとかなるんやろ?」ってすごい勢いで言ってて、あー、大きくなったていってもこの子ら置いてはまだまだ逝けんなぁと思ったのでした。

と、いう事で私の体にはまだガン子さんがのこっておりますが、リンパに転移があるのは予想されていたので取りきれたあとの追加が放射線だけだったのがちょっと心配だったので化学療法もした方がいいんかもね?って自分でおもっていたので、こうなったことでの今後についてはあんまり心配してません。


手術時間は8時間。内蔵がびっちり詰まっていたのか、子宮が硬くてこれもとれるかな?って感じだったのを頑張ってとってくれた主治医に感謝。

そして、このあと翌日まで痛くて苦しくて長い長い夜になるのでした。


2012年12月5日水曜日

入院一日目 手術前日

心臓と胃が口から出そうです。
熱まで出ました。

手術延期とかいやなんですけどー。

この日は手術前の説明と、剃毛、おへその掃除で終了。

安定剤と下剤服用

噂に聞いていたマグコロールとやらは飲まず。

いいのかー?

2012年12月4日火曜日

入院前日になりました。

どうも、入院前日で心臓口から飛び出るんちゃうかってくらいバクバクいいっぱなしのchemy a.k.a ちゃいくろ♪です。こんにちは。(ってか、なんぼハンドル名乗っても 投稿者のところにほぼ本名でてるので意味無し!)

やっと相方との家事その他の引き継ぎ終了。やっぱり結構時間かかったー。

ご飯とか作る気ほぼない相方。息子たちに
「明日からサバイバルやからな」
とかゆーてました。
大丈夫かっ!




ドキドキしている私に私から。

花の命は短くて、苦しきことのみ多かれど、風も吹くなり、雲も光るなり


2012年12月2日日曜日

ガン家系

さっきのブログで父親がガンでなくなったって書いたんですけど、実は私の父方母方にガンの人おおいんですよね。

父親ー肝臓がん(わかったときには末期。糖尿病の合併症あり。手術不能)
父親の妹ー子宮がん(たぶん子宮頸癌。全摘+放射線(化学療法も?))

母親の父親(祖父)ー60代で胃がん/70代で肺がん/80代で大腸がん(すべて原発。最後のガンだけは治療拒否して緩和治療のみ)

母親の母親(祖母)ー子宮がん(たぶん体ガン。全摘のみ)

これだけいるんだから絶対いつかなるとおもっていたんですけれども、やっぱりなりました。(じゃぁ検診もっとちゃんといけよ!ってことなんですけどね。汗 ほんとこの5年さぼったのは強く反省しています)

ちなみに手術不能だった父親以外は再発無しです。
祖父は亡くなってしまったけれども、手術してたらまだ生きてたのかなあなんて思ったりしています。
叔母と祖母は今も元気です。

手術できるガンで亡くなった人がいないので、ぼんやり私もだいじょうぶだろーっておもってるんですよね。根拠無くw

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相方の方は義母の祖母が大腸がんでストマつけてたそうです。
義母が小学生のときっていってましたから、何十年前?!
それでもずいぶん長生きされたそうです。

義母もほんの初期の食道がんが胃カメラ検査のときにみつかって手術しました。内視鏡でちょこっととるだけの手術だったので、再発もなし。今も元気です。

こうやってみるとうちの息子たち、ずいぶんガンになる可能性たかいかもー。

今からきをつけるように言っておかないと。


不思議な偶然?

そんなの気のせい、とか、思い込み、とか言われると思うんだけどね。


病気の告知を受けたのは10/15日(月)

私の誕生日の翌日48歳
相方の父親の命日の翌日(と思っていた)
相方の父親が亡くなったのは48歳のとき。

(と思っていた)と書いたのは
相方の父親が亡くなったのは本当は10/15だった。

大阪ではお参りを命日の前日にするらしくて、相方ずっと10/14が命日だと思っていたらしい。だから私の誕生日が10/14って聞いてつきあい始めた当初ちょっと不思議ねなんて言ってました。

私の病気が発覚するちょっと前に、実は15日なんだって言う話を義母と相方がたまたましたらしい。

相方もなんだか不思議な偶然もあるもんだなぁと言ってたんですが。

そして手術の日は12/6

実は昨年の年末相次いで両親を亡くしました。
交通事故などでなくて、二人とも病気です。
母は脳梗塞、父は肝臓がんでした。(わかったときにはすでに転移もあり、手術できない状態で告知から半年で亡くなりました)
亡くなったのは12/3と12/4。
どんな偶然?!っていう状況でした。

そして、二人の葬式が12/6

丸一年たって私の手術の日になりました。

3人が、守ってやるから自分たちのこと忘れるんじゃ無いよ!って言ってるような気がするんですよね。

忘れるわけないのに。

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2012年12月1日土曜日

入院準備最後の追い込み

なにを追い込むねんw ってかんじですが。

私がいない間の犬猫グッズやら、一時帰国してくれる相方が年末までに再度ドイツに一度帰らないといけないのでその間の息子たちの為の準備やら、1ヶ月いないかもしれないので自分の身の回りやら。月曜日のお昼過ぎに相方帰国なので、月・火でいろんなことの引き継ぎやらねばなんだけど、ちゃんとできるかな。5年以上この家にまともにいた事ないからさぁ。

とりあえず、犬猫グッズ(フード、トイレ関係)は私が退院してからも重いものもつのはおっくうかもと思うので3ヶ月くらい大丈夫なくらい準備してみました。
家の隅にうずたかく積み上がるフードとトイレ関係グッズ。なだれて来ませんように。

相方いない間は、長男はもう成人してるんで長男に全部任せたいところなんだけど、まだ学生で実験などで遅くなったりする事もあり、とりあえずカップラやらサ●ウのご飯やらインスタントみそ汁やら缶詰やら冷食やらを購入。あとはコンビニがあるやろ!ってことで。外食でもいいしね! 

高校生(一応受験生)の次男と二人なんとかのりきってくれぃ!洗濯しろよ!
つか、一人暮らし風味が味わえていいじゃんね。たのしんでくれ!この際だから。

あとは二人がちゃんと犬猫の面倒をみてくれますように。(>x<)☆ オネガイー 




火曜日に美容院の予約を入れて髪を切ってくるので、ただいまヘナ中。とりあえずこれで一ヶ月くらいはみっともなくならないはずー。


2012年11月30日金曜日

入院一週間前/入院中に選挙

さて、入院一週間前となりました。
どきどきするわー。
超どきどきする。

手術の後痛みがすくなく済みますようにー。これだけ。これだけっす。

痛いのこわいー、痛いのいやー。

めっちゃチキンです。まじで。

歯医者でもすぐに「麻酔してください!」ってすぐ言うくらいチキンです。

こんななのに硬膜外麻酔の最初とか耐えられんのか。

どうしよう50も手前になって手術台の上であまりの恐怖に失禁とかしたら。

二度と看護士さんや先生の目をみてしゃべられなくなるわ。。。
逃げ出したい一心で排尿訓練もさっさと終えられるかも!?(違

そして、やっとのことで入院グッズ詰めました。


バスタオルとか持参枚数書かれてるんだけど、それだけで半分埋まったよ。
2週間の予定だけども、1ヶ月は居そうっていう判断でお風呂用品とか1ヶ月分いれたもんね。衣類は少なめ。最初は病衣借りるし。自分で洗濯できるようになったら普通の服(カットソーのワンピとスパッツを何組か入れた)にするんだ。
さらに病院で買える物は病院で買う事にしたんだけど、でかいキャリーがパンパンにふくれあがったよ。

一人で行くつもりだったんだけど結構な荷物になっちゃったんでやっぱり相方に一緒にいってもらうことにした。

って、なんか横で本人以上に悲壮になってそうなのが気の毒な感じなんだよなー。

手術説明のときに後遺症やらの話もされるとおもうんだけど、耐えきれるのか相方!


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今月選挙があるんだけど、今月の選挙はかなり回復早くて追加療法も無ければ帰宅してるかも、、、、だけど、多分そんなにうまく行く事はないとおもうので、入院してる前提で選管に電話して期日前投票ができるのかを聞いてみた。
今回は衆議院選挙なので最高裁判所裁判官国民審査も同時にあるのだ。

衆議院選挙だけなら告示日の4日の翌日から期日前投票ができるんだけど、最高裁判所裁判官国民審査は9日からなんだって。

http://ja.wikipedia.org/wiki/最高裁判所裁判官国民審査

なので、期日前投票はあきらめて病院で不在者投票する事にします。

詳しい事は病院の事務できいてーってことでした。

入院受付の時に聞く事します。





2012年11月27日火曜日

自己血四戦一勝三敗/石切さん参り

惨敗でした。

結局もどらなかったー。
なんでやろー。
やっぱり下からジワジワ出血してるからかなー。

今日は担当医の先生とお話したのだけど、ちょっとした事で笑顔になってその笑顔にキュンとなったりして。理系男子のハニカミ笑顔によわいんですよ。
ちなみにうちの男どもは全員理系男子(次男もそうなるはずなんですが、、、、、)です。結局のところ「お母さんとして息子溺愛!」っていうただの馬鹿親なんかもっ!てへ。

それはおいといて、お医者さんが笑顔になってくれると病気も切羽詰まってないんだー、まだ大丈夫なんだーって安心できますよね。

主治医の先生(男性)もものすごい威圧感あるけど所々お茶目でかわいいんですよ。
入院中にもっとお茶目なところが見られるといいけど。
病期がさほどすすんでないことがわかって「よかった、、、、あ、いやガンになったのはあんまりよくないけど」ってつぶやいたら、「そうよーん♪」っていって手をおばさんがするようにちょいっと招いてみせたときは、ありゃー、と思いました。


そんなわけで採血できたのは最初の1回目だけで400ccのみ。

先生に出血量少なくなるようにゆっくりやりますからーって言ってもらって安心。

雨降ってるけど、時間もあるし、体調もわるくないから帰りに石切さんまで足を伸ばして帰ろうって思い立って行って来ました。


あまりのモダンさに一回通り過ぎてしまった石切さんの鳥居。

お百度石があって、お参りしている女子二人。

雨のなか、お身内かお知り合いの健康を御祈念されているんでしょう。

石切さんはデンボ(できもの)の神様なのです。

お百度されるということはよっぽど親しい方なんだとおもいます。

その方が平癒される事を心から祈りつつ、私も自分の手術の成功と、次男の受験の成功(?)をお願いして来ました。
って二つも贅沢過ぎ?!


そして帰りにミスドって、よく考えたら夕方じゃん!帰ってご飯食べないといけないのに!って反省しながら帰りました。

もちろん晩ご飯もがっつりいただきましたよ!

2012年11月24日土曜日

鉄剤の副作用


鉄剤朝晩でBPが厳しい事にー。
UNKが腸の中をぐるぐる動く度に陣痛の軽い感じのがクルクルー。いでででで。

GUNのせいでいたいんかとおもってびくびくしないとだめだからやめてほしいー。
てかもうあきらかに痛い場所がぐるぐる移動して、さらにガスが抜ける度に一段落するからBP以外にないやろ!って感じなんだけど。

きばると出血ドバーになっちゃうので、きばれない。
ひたすら耐えるのみ。

こんな生活にも早くおさらばしたーい。

このブログを書いている意味

自分が寛解して、あのときどうだったかなーと思い出すためと、自分がこの病気になって情報を集めるためにいろんな人の闘病ブログを読んで勇気と知識をもらえたから、この後ひょっとしたら同じ思いでネットを巡る人の為に。

てか、みんな検診いこうぜ!

私は5年もサボってた。涙

その5年がこれまた人生で一番しんどかった時期(精神的に。実家の倒産とかそれで実家の兄弟たちとうまく行かなくなったりとか、いろいろ)だったので、なるべくしてなった!って感じなんですけど。

病気になっていろいろ「よかったんじゃない?」と思えることもあるんだけど、やっぱならないのが一番いいよ。

得る物もあるけど、失う物もあるからね。

私は子供も産んでてもはや更年期で子宮や卵巣に何の未練もない年齢だけど、そうじゃない人もいっぱいいるわけで。

しかもさー、しなくていい痛い思いしたり、これからしばらくちょっとしたことで「再発っ!?」とかおもってじたばたしたりなんてこともあるわけじゃないですか。

そんな思いはしてほしくないなーと。

11月は子宮頸癌撲滅月間だそうなので、ここんとこタイムリーにTwitterのTLにも子宮頸癌ワクチンの是非を問うTLが流れてたりしますが、唯一予防できるガンなんです。
(腺癌とかはできない可能性があるらしいですが。)

なのでみなさん検診とワクチン、受けてください。

同情とか共感とかもしてほしい訳じゃないです。

最初にかいたけど、自分の為のメモと、これから悩むかもしれない人のために書いてるだけだから。

同じ病気の人に「がんばりましょうね!」と言う訳でもないのです。
みんながんばってるだろうから、今更そんな事言う必要ないとおもうのですよ。
これ以上何をがんばれって言うのさw 

みんながんばってる!

もしも、私が同病の人のブログを読んだとしたら、黙って心の中でその人をハグして背中をぽんぽんしてあげる、なんて書いたらきもい?!

ま、そんな感じです。




心の支えと葛藤

支えが必要か?ってくらい能天気に病気と向き合っているかんじなんですけど、深く意識はしてないけども相方と子供、それから義母や義姉、友達に支えられてるんだろうなぁ。

病気になってその病気がつらくて泣いた事はないけど、人の心の温かさに感激して泣いた事は何度もあるから。


友達、、、、というか知人に関してはこれからもつきあって行けそうなひと、そうじゃない人がきっぱり見えてきましたね。

これも病気にならないと見えてこない事だったかも。

縁も物もそうですが、「なんとなく」で置いとくものって結局自分には必要ないものなのかもしれませんね。

Facebookでちょっと愚痴りましたが、リアルな知り合いにはこの病気の事あんまり言ってありません。ほんの数人なんだけども、明らかに「汚いもの」を見るような目つきだったり、でも、なんだろう、妙に気を使われていてそれがどういう心情からなのかが全く読めないって言う人がいました。

元々噂好きな人だったし、なんとなくちょっと今まで自分が仲良くして来た人とはちがうなーと以前から思っていたんでこれをきっかけに疎遠になるんでしょう。



2012年11月22日木曜日

惨敗な自己血貯血

精密検査が終わってから自己血貯血の為に毎週病院に行ってるんですが、とれたのは最初の一回だけであとは貧血で貯血できてない。。。。

今まで一度も貧血とか言われた事なかったのにっ!

じわじわと下からの出血がきいてるのかなー、とおもったけど、最初の日だって同じくらいの出血量なんであんまり変わらないよね。

増血剤などを打ってもらったり、鉄剤を飲んだり、食べ物を工夫してみたりしてるのに2週連続で貧血ですよ。

まー、あんまり深く考えても血は増えたりしないので、考えるの止め。貯血2回目でとれなかった時はちょっとイラッとしちゃったけど。

貯血3回目のときに鉄剤を朝晩にしてもらいました。
後は毎食肉!肉!肉!

告知までの1週間で2kgやせたのにあっという間に取り戻しました。
ヤバいです。ハラが。
手術のときに脂肪が邪魔するっていうからあんまり太りたくないんだけどー。

とりあえず来週月曜日がラストチャンスなので、あとちょっとがんばって血を増やす努力をしまーす。

精密検査

2012/10/22

この病気になったと思った時からさんざん検索していたので、この日やるであろう検査の内容はだいたい分かってました。

コルポ診と組織診(パンチ生検)のはずだったんですが、診察台にあがってクスコで広げて中をみるなり「パンチしません」って言われました。

激痛かもしれないのを覚悟して行ってたので、一気に気が抜けました。

コルポで見ずとも見た目にわかるガンだったということと、細胞診ですでにSCC(上皮偏平ガン)のクラスVがでているので出血してしまうの分かってるのにする必要ないって事みたいでした。

電子カルテなので、先生が書き込んでいるのが丸見えになっていました。

そこに書かれた2a?(ステージ)という文字。骨盤内浸潤は否定的などの文字をみて、ひょっとしたら末期なんじゃないか?なんてこと思っていたので、少し安心して次回のMRIやCTの予約をして帰路につきました。

この日、2aってかいてあったものの、先生自身は1bだと思ってるっておっしゃいました。正直飛び上がるほどうれしくて安堵したなー。

私はIII期だったらどうしようかーとおもってたんです。というと
先生が「あー!ないない。それはない」と。
ちょっと子宮の翻転部のところが固いんだよなーそこがねーとおっしゃってたので、そこんとこだけ微妙にもやもやしつつ次の検査を迎えたのでした。


2012/10/29

MRI検査


狭いところ嫌いだし、怖いかなーとおもってたんですが、骨盤部の撮影のためか頭はほぼ外だったので全然怖くなかったです。
ずっこ!ずっこ!ずっこ!ずっこ!って音がタテノリしたくなりましたよ。(つぶやいたけどねw)
で、腫瘤は4.3cm 残念ながら1a期はすぎてたけど、多分1b2じゃないかな?とのことでした。
やっぱり1期かもしれんよ!
2期と1期は生存率10%ほど違うからねー。やっぱ気になるよね。

膣壁浸潤があるかないかを放射線科に問い合わせてるんだけど、なかなか返事がないから 明らかにあるわけじゃなくて微妙ーって所なんだと思うと。主治医の先生の長年の経験と感でいくと広がってないと思うよと。
ただ、癌が前にでてきてて膀胱の近くにあるので浸潤してるかどうかを膀胱鏡でみるらしい。なんかちょと痛そう、、、。 MRIの様子だと多分大丈夫だとおもうけど、かなり近い位置にあるそうで。
これ放置しておいたらとおもうとぞっとしますな。

主治医の先生に浸潤していたらどうなるんですか?ってきいたら「摘出するかどうかは泌尿器科がきめるからねー」ってさらっと。
ええー!摘出?! 人口膀胱?!浸潤してませんように。
生活には不自由無くても(いやちょっとあるか)ヨガ出来なくなるのはいやだー。 と思いつつ、そうなったら瞑想でもいいじゃんとかおもったりな。

病気になって失う物もあるけど、得る物の方がめっちゃ多いことにも気づいたり。 ほんでもって今日は放射線技師さんが可愛くてときめいた。
息子くらい若いけどね。


ほかの闘病ブログ読んでるとMRI、CT、膀胱鏡、直腸検査はセットみたいな感じだったんだけど、私がいった病院ではMRIの結果、怪しければ膀胱鏡、直腸検査ってことみたい。MRIは最新式で今年の4月に入った画像解像度の高いものだからできることなのかなー。

2012/10/29

この日にCTと膀胱鏡だったのかなー、、、。
ほんの数週間前のことなのに覚えてない汗。

膀胱鏡はこれまた「激痛!」って言う人と「そうでもなかった」人がいて、激痛でありませんように!と祈りながら診察台に。婦人科と全くおなじ診察台です。

泌尿器科も一緒なのねー。
婦人科と違うのはおっちゃんたちもこの診察台で検査されるってところね。

ところどころチクッとした痛みはあったけど我慢できない痛みじゃなかったです。よかったよー。


そして全部の検査がおわって、結果Ib2期と診断されました。ただし、リンパに2カ所張れている場所があるので、転移かもしれないと。
その場合は術後病理の結果出次第照射はじめます、って言われました。

年末年始、どうなるんだろうー帰れるのかしらー。
先生にその事をいうと、「そのとき考えましょう」
まぁそうか。いま考えても始まらんわなー。

と、いうことで後は自己血貯血と手術に向けての麻酔科の先生との面接くらいかな。




2012年11月4日日曜日

告知の日

2012/10/15

私の48回目の誕生日の翌日。
かなりドキドキしながらクリニックへ向かった。

この週、ほんとにたまたまなんだけれども欧州単身赴任中の相方が帰国していて、こんなことなのでクリニックで検査をしている、その結果が今日出ると言ってあった。

相方は会議中だけども、結果が分かったらメールしてっていって出勤して行った。

クリニックの受付に向かうとなんと、高校のPTAで一緒の人が。ちょっとドキッとしたけどもにこやかに挨拶。

最初きた日よりも待ってる人がすごく少なくてどうしたんだろうなー?と思っていたのですが、どうやら私の為に大幅に予約の数を減らして時間を取ってくださっていたようです。

そして診察室に呼ばれて検査結果を聞きました。

細胞診クラスV(SCC 上皮偏平癌細胞を認める)みたいな事が書かれていた結果の用紙をもらいました。

あー、癌なんだー、私。やっぱりね。でもなんで私が?そんな思いが頭の中をぐるぐるしました。

初診の日からこの日まで多分そうかもとおもっていたのでさんざんこの病気の事を調べてました。上皮偏平癌は腺癌と比べて予後がよいとかそういうやつ。なので上皮偏平癌なのか腺癌なのかがこの細胞診で分かるのかどうかを何度も先生に確認しました。

闘病ブログ等では組織診をしてからはじめて癌の組織型が分かる事が多かったのですけれども、私の場合はすでに細胞診の段階で上皮偏平癌の細胞がでちゃっていたので、多分ほぼ間違いないと思うよ、と言われました。

それでひょっとして腺癌なのかも?と思っていたので少し気持ちが軽くなりましたが、次の病院で組織診をしたら線上皮偏平がんなんて事もあるかも、、、とまたよけいな事を考えたりもしました。調べ始めたら悪い方へ悪い方へと考えが行っちゃうもんなんですね、、、。


実は初診の日にもし紹介してもらうことになったらうちから近い府立の総合医療センターみたいなところにして欲しいです、って言ってあったんです。でも、いろんな闘病ブログをみたりしているうちに、これって治療先を簡単に決めてしまえるほどの病気じゃないんだと気がついて、じゃぁどうしたら良い病院にあたるだろうか?自分の納得いく病院にあたるだろうか?と考えた末に、クリニックの先生に「ご自身の奥様をこの病気で託すならどこを選びますか?」って聞いてみました。
自分でもなかなか気が利いた質問だと思いました(苦笑)

そうすると先生はご自身が開業まで努めていた病院の名前と(クリニックのwebサイトの自己紹介のところに書いてありました)、もう一つN病院という名前を挙げられました。

このN病院、この時まですっかり忘れていましたが20年以上前微熱が続いてなかなか体調回復せず、そのときつとめていた会社の女性の先輩に「婦人科系ならN病院がいいから言って見れば?」といって勧められた病院で、通った事があるのです。

その時は婦人科系がいいよといわれながらも内科での受診だったのですけれども。

その事を思い出し、また、この病気で手術の上手な先生はどなただと思いますか?とクリニックの先生に聞いたところまたもやN病院の部長先生という答えが返って来たので、これはもうここしか無いとおもってN病院の紹介状を書いていただき、部長先生の診察日にクリニックから予約を入れてもらいました。

予約の確認と紹介状を待っている間に待合室で座っていましたが、例のPTAで一緒の方がなんだかちょっと落ち着きないかんじで、できるだけこちらを見ないようにしているのが分かってちょっと申し訳なかったかも。

こういう時って当事者よりも周りの人が以外と困っちゃう事もあるものなのかもしれませんね。

待つ事20分くらい。

紹介状等一式もらってクリニックを後にしました。
紹介状をいただくときに、「N病院で取りきれたと思ったらこちらに返されるかもしれません」と言われました。その言葉が「そんなに病期がすすんでる訳じゃないから」って言われているような気がしてちょっとほっとしました。
ぶっきらぼうな感じの先生でしたが、こちらの心配している事を根気よく説明してくださってほんとによかったです。

相方へは紹介状を待っている間に「癌だった」っていうメッセージを送っておいたので、これから先の治療計画が立ってない状態ではありますが、会社へも看病の為に手術の日前後の休暇を取る事等を事前に連絡してくれたようです。(ありがとうね。)

今は一通り検査がおわって、来週から術前検査と自己血採取になるんだけれども、今思えばこの告知までの時間が一番気持ちがしんどかったかも。

mixiの日記にさんざんいろんな事を書いたし。




2012年11月3日土曜日

初診の日

2012/10/9

予約無しでしたが割とスムーズに診察してもらえました。

この日までそんなに出血もしてなかったんですが、なぜかこの病院のトイレで微妙に出血し始めました。さらに内診で大出血。先生にこれでよく貧血にならないねぇ、と言われました。タンポンつめられてましたが、そんなもの関係ない!っていうくらい出血。今まで体験した事のない量だったので、これはやっぱりかなり怪しいと自分でも思ってました。

内診のほかに経膣プローブでの超音波診断やクラミジアの検査、子宮頸癌の細胞診など一通りの検査がされてました。全く説明はなかったけど、明細に書いてあったのを帰宅してからググって理解しました。

内診の部屋から診察室に戻った時、先生の顔に「あまりよろしくない」みたいな表情がありありと。そして「検査の結果によってはお住まいの近くの病院にうつられた方が良いと思います」っていわれた。

一瞬????ってなったけど、ようは手術のできる病院にうつってそこで精密検査しないさいよって事なんだと理解した。

ほかの闘病ブログをみたりすると「すぐに○○病院行って!紹介状書くから!」なんて言われてその日のうちになんて事もあったりするんだけど、私は「検査の結果次第ね」っていわれたので、万一癌でもそこまでひどくないのか見分けがつかないレベルなのか?って思ってた。


自覚症状

2012年5月くらいから生理の間隔が短くなって(2週間−3週間)、量も増えたり減ったり。でもだいたい7日くらいできれいになってた。

微妙な年齢(47歳)という事もあってついにきました更年期!とか思ってました。

夏くらいから生理と生理の間にわずかに不正出血するようになり、更年期ってこんなもんなんかな?とおもいつつ、そろそろ真剣に更年期外来探さないとダメだなと思い始めました。

しかし、9月の半ば頃から水っぽおりものが増え、これはちょっとちがうな?と思うはじめましたが、運悪く、私は10年前に膣炎を経験していて、その時と全く同じ症状だったんです。

更年期と膣炎、やっぱり病院だよね、とおもいつつまだまだゆっくりしてました。

しかし、それからすぐに臭いがちょっと違う事に気がつきました。少し生臭いようないつものおりものの臭いとは違います。

そして大慌てで病院を検索。しかし、天王寺の更年期外来のあるクリニックを選んじゃうあたりがひょっとして?とおもいつつもまだ大丈夫って思ってたんですよねぇ。

闘病日記

子宮頸癌発覚して1ヶ月。
病気についてネットで検索して闘病日記を読んだりしてずいぶん励まされました。

私も(あまりあってほしくはないけど)同じ病気になってしまった誰かの参考になれば良いなと思って闘病日記書いてみようと思います。

闘病っていうほど闘ってる訳でもないんですけどね。