タイトルの通り、左足の麻痺はどんどん進んでおり、時々下血する有様であります。
腫瘍がS字結腸巻き込んだからストマになっちゃったんだから、病状進めば下血になるのはしょうがないわけですが、どんどん、病状はわるくなっているんだなあっていう実感です。
でも、まだ普通に動けるから、遊びにはどんどん行こうとおもっています。
いや、フツーに動けるというのはいいすぎだな。
ノロノロではあるけども、歩けるし、動けるので遊びに誘ってくださいなっと。
じっとすわってたりするぶんには全く問題ないので(笑
歩き回るのはちょっとしんどいかもね。
USJにはもうちょっといきたいなぁ。
今はもう今期のショーなどはすでに終了してしまっていて、閑散期にはいっているんだけども、次のショーが始まる時(3月位?)には行きたいなぁ、っていうのはちょっと贅沢かなぁ。
日曜礼拝もできればもうちょっと行きたいなぁ。信者になってすぐ行けなくなるっていうのもどうかと思うもんねえ。
痛みのコントロールはもらった薬でできているのでばっちり?かな?
主婦道
ブログとは記録することと見つけたりー40代からのライフログそして子宮頸癌闘病日記
2015年1月17日土曜日
2015年1月9日金曜日
「モーツァルト!」観に行ってきました!
8日に行ってきました。
友達に席を取ってもらったのだけれども、なんと、前から2列目という奇跡!
半年以上前にチケットとってもらったのだけれども、あの時はまだまだ治療もしてたし、大丈夫だろう!っていう変な自信があったんだよね。
入院した時には、もう観に行けそうにないかな?と思うくらい弱ってたんだけど、なんとか、出歩ける位には元気になりました。
いわゆる、死ぬ前の小康状態ってやつなのか?とおもったりして。
とりあえずは生きてる事を楽しんでおります。
と、言いつつ、さすがに疲れて息子たちほったらかしで寝てたら、二人とも大遅刻して学校いったわ…。やっぱり最後まで母としての仕事はしないとダメね。
自分が生きているという実感と母としての実感はイコールかもしれんから。
もうちょっと、出来るところはやっていきましょう。
2015年1月6日火曜日
まだ大丈夫そう
退院してから一週間ちょっと。
なんだかすごく時間がすぎたような気がするんけど、まだ、そんなもんなのか…。
まだ、寝たきりになったりとかはしてません。すきあらば、出かけてやろうっておもってはいるけども、寒くてなかなか出かけられない( ̄◇ ̄;)
退院してから、堅信式があったり、元日礼拝があったり(っといってお正月だから礼拝があるわけではないのです。ちょうどイエス様命名の日が元日にあたっているのです)、すぐに普通の日の礼拝があったりでバタバターとこの冬休みがすぎてしまいました。
冬休みの間は相方がずっとおさんどんしてくれてましたが、仕事が始まるとそういうわけにいかないので、ボチボチ私がやる事に。
とはいっても、洗濯は夜のうちか、早朝にやってくれているし、掃除はまあ、目立つとこだけクイックルワイパーだし、なんでご飯だけの問題なんですけれどもね。
そのご飯も長男がまだ休みでいるので、横にいてあーだこーだ言うだけなのでそんなに大変でもなく、やっております。
ご飯も入院前よりもしっかり食べられるので、ひょっとしたら入院前よりも調子がいいくらい。
とはいっても、無治療なのでいつどうなるんだろう?って気持ちは心のどこか気いつもあります。
左足のマヒはかなり進んでいてほとんど動かなくなりました。痩せて筋肉が落ちたというのとはまた違う。
この、マヒが進んでいるというのだけを取ってもやはりガンはどんどん大きくなっているのですね…。
ショックだけどしょうがない。
体調はもどってきたから、治療も続けようと思えばできるんじゃないかな?と言う気はする。
でも、闘病ブログを読んでいると、最後まで諦めず、治療法を見つけて、抗がん剤打った2ー3日後に急変して亡くなるなんて事がかなりあるんだよね。
どっちがいいんだろうなぁ、と、悩んでおります。
あんまり悩んでる時間、なさそうではあるんだけど…。
2014年12月30日火曜日
通いかけていた新しい病院で言われたことと、訪問介護、訪問看護。
入院した次の日、入院するのは日生でよかったのかなぁと悩んで通いかけてた新しい病院に電話をかけてみた。
そうしたらそこで言われた言葉
まず、
「なんでうちに来ないんですか、腸閉塞くらいで死んだりしませんよ。タクシーでもなんでも呼んできたらよかったじゃないですか、で、そこから必要ならほかの病院紹介したりしましたよ」
たしかにそう簡単に腸閉塞では死んだりしないのかもしれない。(死にいたる場合もあるということだけども)でも、なんだかちょっと違うような気がする...。
そして、結局行ってもほかの病院に回されるんかーと思ったら行く意味ないような...。
で、ガチャ切りされた。
あの先生とてもいそがしいのはわかるんだけど、ガチャ切りするかな。
納得いかないのでもう一回掛け直した。
そしたら、
「うん、ひょっとしたらもう手遅れなんかもしれませんな。まぁ退院されてからこっちにまたこられてもいいですけれども。(次はTCの予定だった)」
手遅れってなんだー...。
なんだかこうもやもやっとした感じで電話をこれまたガチャ切りされて、そのあとはこちらもかけてない。
なんだかよくわからんなぁという感じで終わってしまった。
で、結局のところ日生でよかったんやろなってことにして、一ヶ月半ものんびり入院してしまったわけです。
入院生活は快適でしたー。
そして、一旦退院ということになって、訪問介護や訪問看護が必要になるだろうということで、訪問介護については自宅の一番近いところでかなり手広くやってるとことにお願いすることに。
訪問看護については、日生の外科の先生の知り合いのところにお願いすることになったんだけれども、ひとまず、退院となっても別に寝たきりというわけでもないから来ていただいても何もしてもらうことがない!
ので、つなぐだけつないでいただいて、必要になったらおねがいしますね!というつもりだったんだけれども、「断られた」って思われたみたいでどうしようかなーって。
断ったつもりは全然ないのですー。ただ、今は動けるから動けなくなったらよろしくねって思ってるんです。
セデーションもできるって聞いてるんで、最後はここにお任せします!って思ってます。
痛みのコントロール、よろしくです!
それがいつ来るかはわからないんですけどね。
そうしたらそこで言われた言葉
まず、
「なんでうちに来ないんですか、腸閉塞くらいで死んだりしませんよ。タクシーでもなんでも呼んできたらよかったじゃないですか、で、そこから必要ならほかの病院紹介したりしましたよ」
たしかにそう簡単に腸閉塞では死んだりしないのかもしれない。(死にいたる場合もあるということだけども)でも、なんだかちょっと違うような気がする...。
そして、結局行ってもほかの病院に回されるんかーと思ったら行く意味ないような...。
で、ガチャ切りされた。
あの先生とてもいそがしいのはわかるんだけど、ガチャ切りするかな。
納得いかないのでもう一回掛け直した。
そしたら、
「うん、ひょっとしたらもう手遅れなんかもしれませんな。まぁ退院されてからこっちにまたこられてもいいですけれども。(次はTCの予定だった)」
手遅れってなんだー...。
なんだかこうもやもやっとした感じで電話をこれまたガチャ切りされて、そのあとはこちらもかけてない。
なんだかよくわからんなぁという感じで終わってしまった。
で、結局のところ日生でよかったんやろなってことにして、一ヶ月半ものんびり入院してしまったわけです。
入院生活は快適でしたー。
そして、一旦退院ということになって、訪問介護や訪問看護が必要になるだろうということで、訪問介護については自宅の一番近いところでかなり手広くやってるとことにお願いすることに。
訪問看護については、日生の外科の先生の知り合いのところにお願いすることになったんだけれども、ひとまず、退院となっても別に寝たきりというわけでもないから来ていただいても何もしてもらうことがない!
ので、つなぐだけつないでいただいて、必要になったらおねがいしますね!というつもりだったんだけれども、「断られた」って思われたみたいでどうしようかなーって。
断ったつもりは全然ないのですー。ただ、今は動けるから動けなくなったらよろしくねって思ってるんです。
セデーションもできるって聞いてるんで、最後はここにお任せします!って思ってます。
痛みのコントロール、よろしくです!
それがいつ来るかはわからないんですけどね。
不安でしょうがない。
無事に先日堅信式を終え、信徒として認めてもらることになりました。(堅信式というのは、聖公会独特の儀式で、洗礼は受けたけれどもさらに堅くイエス・キリストを信じますという儀式なのです。教区の主教様しかできない儀式です。)
信仰をもつことで心は穏やかにやなるのですけれども、(死ぬというよりは、主のみもとに呼ばれるということだしね)死ぬことがこわいのではなくて、これからどうなっていくのかが見えないのが不安。
1ヶ月先の事がわからないのが不安。
動けているのか、動けていないのか。
病院で一ヶ月半いたせいもあるんだろうけども、入院する前数日前まで一人でUSJにいってパレードみてたのに、いまではちょっとそれができそうにない。入院中激やせしたせいなのか、(絶食半月っていうのもあったり、病院食は全部食べてもカロリーが低いのに、半分くらいしか食べられ無いというのもあったせいかもだけど)あの頃ほどちゃんと歩けない。
うーん。
信仰をもつことで心は穏やかにやなるのですけれども、(死ぬというよりは、主のみもとに呼ばれるということだしね)死ぬことがこわいのではなくて、これからどうなっていくのかが見えないのが不安。
1ヶ月先の事がわからないのが不安。
動けているのか、動けていないのか。
病院で一ヶ月半いたせいもあるんだろうけども、入院する前数日前まで一人でUSJにいってパレードみてたのに、いまではちょっとそれができそうにない。入院中激やせしたせいなのか、(絶食半月っていうのもあったり、病院食は全部食べてもカロリーが低いのに、半分くらいしか食べられ無いというのもあったせいかもだけど)あの頃ほどちゃんと歩けない。
うーん。
2014年12月28日日曜日
2014年12月7日日曜日
終末にあたって
さて、色々頑張ってきましたが、がんの勢いが一気に増していたみたいで、大腸を巻き込んでついに腸閉塞となりました。
そして入院、人口肛門の手術を受けました。
塞栓術を辞めてから2ヶ月でのことなので、塞栓術は効果があったのかも。しれませんねぇ。
こればっかりは予測でしかないっていうか。
そして、無治療の選択をついにする事になりました。
痛みやだるさをとって、普通の生活ができるようにする、緩和のみです。
亡くなる2日前まで仕事に行けてた人もいらっしゃるとか。
私もそんな感じで召されたいなと思っています。
と、いうことで、このブログはここで更新終了です。
あとはfacebookに相方に最後のメッセージを書いてもらうようお願いしています。
闘病中の皆さん。
皆さんの闘病が、良い方向に向かいますように。
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